著名人対談


vol.20

ゼロから日本一の人脈を築いた3つのルール

谷口智治(全国経営者団体連合会 理事長)
1947年1月1日生まれ岐阜県高山市出身。大阪商業大学卒。化粧品会社マックスファクター入社。退社後の1975年セミナー企画実施を目的とした株式会社にじゅういち設立。1983年中小企業・ベンチャー企業の活性化を目的とした団体である全国経営者団体連合会(通称、全経連)を設立。
谷口智治氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.141より

1947年1月1日生まれ岐阜県高山市出身。大阪商業大学卒。化粧品会社マックスファクター入社。退社後の1975年セミナー企画実施を目的とした株式会社にじゅういち設立。1983年中小企業・ベンチャー企業の活性化を目的とした団体である全国経営者団体連合会(通称、全経連)を設立。

誠心誠意、無心に行動

谷口独立した当初は、有力な血縁や学閥など人脈を形作るバックボーンをもっていたわけではありません。何もないゼロからのスタートでした。海外の有名な方を最初にお招きしたのは米大型旅客機メーカー、ボーイング社の副社長でした。契約するためにアメリカに赴きましたが、英語も堪能ではなく事前にシナリオを用意してもらい交渉に臨んだほどです。そして、できることは誠心誠意、相手に気持ちを伝えることだけに全力を傾けました。その後も、相手に喜んで頂くことを徹底することで、徐々に講師としてお招きした方々や周りの方に、他の方をご紹介頂ける様になっていきました。

青木私が講師を務めている『頂点への道』講座でも「その人の成功が自分の成功となる人」をパワーパトナーと位置づけその重要性をお伝えしています。ところで化粧品会社から独立しセミナーを始められたのに何か動機はございますか。

谷口私は岐阜の出身で、両親には「進学しないで地元に就職した方がいいのでは」といわれていましたし、小さい頃に頭にやけどを負って中学生から58歳までかつらを使っていたということもあり、ハンディを持っていると考え、入社当初は内向的な青年であったと思います。そんな私が諸先輩の薫陶や社内研修に参加することで「人は変われるんだ」と知り、研修やセミナーというものに興味を持ったのが、動機といえるかもしれません。

青木あらゆる「逆境」には、それと同等かそれ以上の幸せの「成功の鍵」が隠されていると思います。私は函館から17歳で上京、溶接工見習いからのスタートでしたが、法政大学の客員教授を3年間勤めさせて頂き、物の見方を変えることで、弱点を強みにすることができました。谷口さんもある意味コンプレックスをお持ちになっていた。それがどこかで切り替わった、ご自身が変わられた何かの出来事があったのでしょうか。

三笠宮寛仁親王殿下と谷口氏 谷口私は寛仁親王殿下との出会いの場で「100%のハンディキャッパーはいないのと同じく100%の健常者もいない、あなたが人前でかつらを外すことで人の心が解るようになります」とお話くださったことでコンプレックスを克服できました。このご縁から全国セミナーをお願いし、ご承諾頂きました。このように、私はご縁を頂いた諸先輩方から礼状の書き方や電話での会話、海外での作法など様々なご指導を頂いてきました。あるときから変わったというよりもご指導ご鞭撻を受けたことがらを愚直に実践して、今日があるように思います。

青木今までのお話もそうですが、人脈づくりを目指している若い人にも参考になると言いますか、谷口さんの人間関係を構築する上でのポリシー、ご自分が大切にしてきたものをあえて3つ位に絞ってお話頂けますでしょうか。

谷口第一は、「約束を守ること」。第二に、先輩の指導や提案には「YES」。第三に、自身が弱いが故に、自分に対しての戒めとして「ごみ拾い」をしています。ここ2年ぐらいはトイレの掃除もするようになりました。何かしらちょっとした〝いいことをする〟と、何か行動する前にポジティブシンキングできるようになります。私には、モチベーションを維持する効果があります。

青木なるほど、人間の弱さを克服するために謙虚であろうとする習慣をお持ちになっているということですね。では人脈づくりのコツと言ったものをあと一つ上げるとしたら、どんなポイントになりますでしょうか?

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