著名人対談


vol.21

「時」を制する勝利の哲学

米田功(徳洲会体操クラブ 監督、アテネオリンピック男子体操団体 金メダリスト)
7歳から体操を始める。中学時代には中学総体制覇を皮切りに、清風高校時代にはインターハイで個人総合優勝。順天堂大学を経て徳洲会体操クラブに進み、全日本学生選手権、全日本選手権、NHK杯で2回の優勝を果たす。2000年のシドニー五輪ではまさかの代表落選を経験するが、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得し、種目別の鉄棒でも銅メダルを獲得。2013年より徳洲会体操クラブ監督に就任。リオデジャネイロ五輪、東京五輪に向けて選手育成に携わる。各地で講演活動等も行い、体操の普及活動、体操解説等を行う。
米田功氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.140より

7歳から体操を始める。中学時代には中学総体制覇を皮切りに、清風高校時代にはインターハイで個人総合優勝。順天堂大学を経て徳洲会体操クラブに進み、全日本学生選手権、全日本選手権、NHK杯で2回の優勝を果たす。2000年のシドニー五輪ではまさかの代表落選を経験するが、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得し、種目別の鉄棒でも銅メダルを獲得。2013年より徳洲会体操クラブ監督に就任。リオデジャネイロ五輪、東京五輪に向けて選手育成に携わる。各地で講演活動等も行い、体操の普及活動、体操解説等を行う。

アチーブメントのスカラシップ制度を利用し、 リオデジャネイロ五輪に向けて活動する徳洲会体操クラブ。 現役時代は28年ぶりにオリンピックでの男子体操団体 金メダルを獲得した米田功氏と青木仁志が 「時間という命」の使い方について語り合った。

青木今回はアテネオリンピック金メダリスト、現在は徳洲会体操クラブ監督を務められていらっしゃいます米田功さんにお越しいただきました。本日はよろしくお願いします。

米田こちらこそよろしくお願いします。

青木「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という実況とともに、日本中を感動に包んだ2004年のアテネオリンピック男子体操で、日本は団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得しましたが、米田監督は当時、主将としてチーム日本を牽引されましたね。もともと体操を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

米田小さい頃は小児喘息を持っており、心配した母が最初は水泳をさせました。しかし、私はあまり水泳が好きではなく、1年ほどで辞めてしまったのですが、そのときに別で勧められたのが体操。7歳のときから始め、池谷幸雄さんや西川大輔さんも卒業されたマック体操クラブに入りました。それから中学卒業まではマックを拠点に続けて、清風高校・順天堂大学と進学したのです。

青木中学校から全国個人総合優勝、名門の清風高校時代にもインターハイで個人総合2位。順天堂大学時代には、NHK杯優勝、全日本学生選手権でも優勝をされていますね。この輝かしい実績の背景には相当な練習量があったのではないでしょか。

米田ありがとうございます。ただ、当時は練習嫌いで有名でした。

青木意外ですね。詳しくお聞かせいただけますか。

米田体操クラブ、中学・高校と厳しく指導をいただきました。水泳と違って、体操は辞めたいとは思わなかったので、当時から体操が好きだったのだと思いますが、「たくさん練習すれば勝つのは当然だろう。でもそんなの全然格好良くない」と思っていたんです。逆に「練習をしなくても結果を出す人が天才だ」という考えを持っていました。

青木学校教育で「勉強せずにテストでいい点をとることに憧れる」人がいるような状態にたとえられそうですね。転機になったきっかけは何だったのでしょうか。

米田功 米田2000年のシドニーオリンピックの代表から落選したときに大きく心境が変化しました。それまで、練習は嫌い。「努力することは格好悪い」と思っていた自分でしたから、これまでの成績の延長線上にオリンピックもいけるとどこか甘く考えていたのです。そこで突きつけられた「自分はもう代表になれない」という現実。試合中に、頭をよぎったのは家族の顔でした。いつも試合を応援しに来た家族と、帰りに食事をするというのが定番でしたが、その日は、両親に会わせる顔がなく、一人で帰宅。特に姉のことを考えたのです。私が体操を始めてから、日曜日の体操の試合には両親は姉ではなく自分の応援に来てくれていた。その他あらゆる場面も考えると、見方を変えたら姉は母との時間を犠牲にしてくれていたとも言えると思いました。 そうした周囲の方々の、時間という命が自分に使われていたことに気づかされました。同時に出てきたのが、怒りです。

青木怒りですか?

米田これだけ家族に応援され、期待されているのに応えられない自分への怒りでした。そこからはもう生活が一変し、まさに体操漬けの毎日。日々のすべての時間・行動が、『アテネオリンピック』に向かい、それ以外は何も見えない心境で4年の時を過ごした結果、代表入りを果たしました。

青木感謝を土台にした自分への怒りということですね。周囲への恩を感じ、なぜ自分がアテネに行かなければならないのかという目的・理由が明確になったことで、迷わず目標に向かうことができたということでしょう。

米田気づくと、「格好いい」の定義は180度変わり、努力して頑張ることが真の格好良さだと気付くようになりました。

青木まさに『人生の目的が変われば人生の質が変わる』ですね。それが、時間の使い方の変化という形で現れたと言えますね。

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