著名人対談


vol.22

挑み続ける「頂点への道」

栗城史多(見えない山を登る、全ての人達と冒険を共有する登山家)
見えない山を登る、全ての人達と冒険を共有する登山家。1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登り、8,000m峰4座を単独・無酸素登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始める。「冒険の共有」は、一歩踏み出す人を増やすことを目的とし、見えない山を登っている全ての人達へというメッセージと共に発信。その活動が口コミで広がり、年間70本の講演を全国各地、また海外でも行う。エベレストには、気象条件の厳しい秋季に単独・無酸素で4度挑戦。2012年秋にエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にブロードピーク(標高8,047m)に単独・無酸素で登頂して、見事復帰を果たす。2015年秋にエベレストに5度目の生中継登山に挑戦し8,150m地点で下山となったが、これからも挑戦は続く。
栗城史多氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.139より

見えない山を登る、全ての人達と冒険を共有する登山家。1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登り、8,000m峰4座を単独・無酸素登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始める。「冒険の共有」は、一歩踏み出す人を増やすことを目的とし、見えない山を登っている全ての人達へというメッセージと共に発信。その活動が口コミで広がり、年間70本の講演を全国各地、また海外でも行う。エベレストには、気象条件の厳しい秋季に単独・無酸素で4度挑戦。2012年秋にエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にブロードピーク(標高8,047m)に単独・無酸素で登頂して、見事復帰を果たす。2015年秋にエベレストに5度目の生中継登山に挑戦し8,150m地点で下山となったが、これからも挑戦は続く。

アチーブメントがパートナースポンサーを務める登山家栗城史多氏。氏が今回挑んだのが5度目となるエベレストだ。帰国してからわずか12時間後。青木仁志とその胸中を語り合った。

青木本当にお疲れ様でした。帰国早々お時間をいただきありがとうございます。

栗城こちらこそありがとうございます。クラブ会員の皆様からいただいた応援の寄せ書きの旗を持って行きました。自分の挑戦を多くの方と共有するという「冒険の共有」にも繋がりました。

青木登頂過程のFacebook投稿に1万2千を超える「いいね!」がつくなど本当にたくさんの方々が応援されていました。今回のチャレンジは一度登った後、ベースキャンプに戻り、そして再度そこから挑戦されましたが、その決断ができたのはなぜだったのでしょうか?

栗城史多 栗城自分の体調や天候等を総合的に判断したときに「まだいける」と思いました。自分の中にある力を出し切っていないと。結果、2回目のほうがより高い標高まで上がれたんです。

青木エベレスト登頂は中国側からとネパール側からがありますが、今回はなぜあえて距離の長い、ネパール側を登られたのでしょうか。

栗城ネパール側からの単独・無酸素登頂が前人未到ということもありますが、あとは今年4月のネパールの震災の影響もありました。エベレスト登山者が激減したんです。現地の方々にとってみれば観光産業ですから、どうせならPRをと。今回現地のメディア含めて大変感謝されました。

青木エベレストは、もう想像を絶する環境でしょうね。

栗城はい、風速20メートル以上の風に叩きつけられ、気温より、はるかに下がる体感温度の中を進みます。特に、頂上まで残り700メートルの雪は独特で、氷みたいに固く、乗ったら割れ、中からは砂のような雪。割って登って少し引きずりおろされ、また登るの繰り返し。何回も深呼吸して踏み出す一歩で静かに、静かに登っていくんです。そして上を見上げれば宇宙のような星空。もはや別世界です。

無料CDプレゼント 特別無料説明会 達成力を高める5つのステップ 全国講演スケジュール チャレンジJAPAN(ジャパン) 「青木仁志」達成スタンプ第二弾!! 平川亮選手 応援団募集中

Facebook

▲ PAGE TOP