著名人対談


vol.5

トップに立つものが持つ絶対条件

佐藤琢磨(レーシングドライバー)
1977年東京都生まれ。97年SRS-Fで最優秀選手に選ばれ、98年童夢・無限大ホンダより全日本F3選手権に参戦。
同年渡英、99年Fオペル・ユーロシリーズで雨のレースはすべて優勝。2000年カーリン・モータースポーツよりイギリスF3選手権に参戦、シリーズ3位。01年BARホンダのテストドライバーを務めながら、イギリスF3選手権で12勝を記録し、シリーズチャンピオンに。また、F3世界一決定戦のマルボロ・マスターズを制し、伝統のマカオGPでも優勝。
02年ジョーダン・ホンダからF1デビュー。日本GPで5位入賞。03年テストドライバーとしてBARホンダの正ドライバーに昇格、
ヨーロッパGPで日本人初の予選フロントローを獲得、アメリカGPで3位表彰台に上がる。06~08年スーパーアグリF1より参戦。10年より現在、インディカー・シリーズ参戦。2011年はポールポジションを獲得するなど、自己ベストを塗り替える記録を残す。
佐藤琢磨氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.116より

1977年東京都生まれ。97年SRS-Fで最優秀選手に選ばれ、98年童夢・無限大ホンダより全日本F3選手権に参戦。
同年渡英、99年Fオペル・ユーロシリーズで雨のレースはすべて優勝。2000年カーリン・モータースポーツよりイギリスF3選手権に参戦、シリーズ3位。01年BARホンダのテストドライバーを務めながら、イギリスF3選手権で12勝を記録し、シリーズチャンピオンに。また、F3世界一決定戦のマルボロ・マスターズを制し、伝統のマカオGPでも優勝。
02年ジョーダン・ホンダからF1デビュー。日本GPで5位入賞。03年テストドライバーとしてBARホンダの正ドライバーに昇格、
ヨーロッパGPで日本人初の予選フロントローを獲得、アメリカGPで3位表彰台に上がる。06~08年スーパーアグリF1より参戦。10年より現在、インディカー・シリーズ参戦。2011年はポールポジションを獲得するなど、自己ベストを塗り替える記録を残す。

「夢」を抱き、アタックを続ける

青木高校3年生の時、自転車競技でインターハイに出場されて、優勝されましたよね。自転車競技を始められたきっかけは何だったんですか?

佐藤自転車は幼いころから大好きでした。でも、競技の世界を知ったのは高校からです。それで当時、よく通っていたサイクルショップの店長にロードバイクのレースに誘われたんですね。レースと聞いて鈴鹿サーキットで感じた興奮が蘇ってきて、それからは毎週末クラブ員のみんなと練習に励み、いろいろなレースに参加していました。そのうち、全国レベルの大会に出てみたいと思うようになり、学校の先生に頼み込んで顧問になってもらって自転車部をつくり、顧問ひとり部員ひとりでインターハイを目指しました。

青木仁志 佐藤琢磨氏 青木そこから優勝を狙ったんですか?

佐藤はい。やるからにはトップを目指すと(笑)。東京都大会で優勝して、インターハイ行きのチケットを手に入れたものの、関東大会でメッタ打ちにやられてしまって。決勝では転倒に巻き込まれて血だらけになりながらレースに復帰する有様でしたよ。

青木果敢なまでのレーシングスタイルは今と変わらないですね。しかし、スキル不足、パワー不足をどう克服したのですか?

佐藤夏休みの間だけ、自転車部のある他校に書類上の転校をして、夏合宿に参加させてもらいました。 また、自分には参加資格のないジュニアオリンピックなんかに出かけて、他の全選手の走りをビデオで研究して、その後のインターハイに臨みました。僕は体が大きくないので、競り合いになった時に、スピードが伸びない。だから、みんなが速度を上げる前に、先に逃げてしまおうと考えました。これは空気抵抗を一身に受けるので、体力が消耗するリスクがあるんです。でも、アタックすれば、1位になる可能性は確実に広がる。その可能性に賭けました。最終的には、2位になった選手以外追いかけてくることなく、そのまま逃げ切り、優勝することができました。

青木琢磨さんのモットーでもある、「ノーアタック、ノーチャンス」をまさに体言するエピソードですね。「レースをしたい」という強い思いを持ち、自転車部をゼロから立ち上げ、そこから、インターハイ優勝。究極の可能思考ですね。その後、琢磨さんは、19歳という年齢で自転車競技からモータースポーツに転向されましたよね。幼いころ衝撃を受けた世界に引き戻されたわけですが、不安や恐れはなかったのですか?

佐藤自転車競技では本気でオリンピックを目指していたんですが、同世代の人間がレースデビューして、メディアに取り上げられているのを見て、すごくうらやましかったんです。そんな時、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(以下、SRS-F)の存在を知りました。自転車競技と出会った時と同じく、僕の心は「これだ!」と叫んでいました。

青木心の奥底に眠っていたF1に対する思いに、再び火が点いた瞬間ですね。

佐藤琢磨氏 佐藤ええ。SRS-Fは、成績トップで卒業すれば、上級カテゴリーのレースに参加できるプログラムになっています。モータースポーツ未経験の僕としては、F1マシンに乗るにはこの選択肢しかない。募集の年齢制限は20歳で、僕はラストチャンスだったので、迷いはありませんでした。

青木評価対象となる実績がまったくなく、年齢が上であるほど、不利なわけですよね?

佐藤はい。自分にとっては入校することが、最大の難関でした。倍率は10倍でしたが、カートのヨーロッパ選手権を走る選手だったり全日本チャンピオンだったりと、実績のある選手ばかりが応募していました。自分はカートの経歴が数ヶ月、年齢制限もギリギリ。このままでは100%落ちると思ったので、「短くてもいいので面接をしてほしい」と少しでも可能性を広げるために、選考ルールの変更を申し出たんです。そして、自分の想いを、精一杯伝えました。それだけ積極的になれたのは、10歳の時に出会った夢のためだったと思います。

青木願望に対する熱意、そして、選考方式そのものも変えさせてしまう挑戦の姿勢がここでも発揮されたんですね。チャンスを必ず手中に収めようとする琢磨選手の気迫と心意気には圧倒されますね。

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