著名人対談


vol.6

日本一を生み出す組織運営の秘訣

相川佳之(SBCメディカルグループ 総括院長)
1970年、神奈川県生まれ。薬局チェーンを営む両親のもと、跡取りとして育ち、日本大学医学部へ進学。1997年大学卒業。癌研究所付属病院麻酔科勤務の後、1998年大手美容外科に勤務。当時、日陰の存在だった美容外科業界の裏側を知り、「理想のクリニック経営」を夢見、2年で独立。2000年神奈川県藤沢市に湘南美容外科を開院。その後、年3、4院のペースで開院、2012年3月現在、全国に24院を展開する。最新のマーケティング手法にも積極的に挑戦、テレビをはじめとしたメディアへの露出も多く、知名度を上げている。患者の気持ちに寄り添い、不安や恐怖心に応えるため、ホームページには15000件にのぼる体験談を掲載。術後にアフターフォローのメールを配信するなどといったきめ細かい配慮も支持を集める理由のひとつ。業界を牽引する注目の若手旗手である。
相川佳之氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.118より

1970年、神奈川県生まれ。薬局チェーンを営む両親のもと、跡取りとして育ち、日本大学医学部へ進学。1997年大学卒業。癌研究所付属病院麻酔科勤務の後、1998年大手美容外科に勤務。当時、日陰の存在だった美容外科業界の裏側を知り、「理想のクリニック経営」を夢見、2年で独立。2000年神奈川県藤沢市に湘南美容外科を開院。その後、年3、4院のペースで開院、2012年3月現在、全国に24院を展開する。最新のマーケティング手法にも積極的に挑戦、テレビをはじめとしたメディアへの露出も多く、知名度を上げている。患者の気持ちに寄り添い、不安や恐怖心に応えるため、ホームページには15000件にのぼる体験談を掲載。術後にアフターフォローのメールを配信するなどといったきめ細かい配慮も支持を集める理由のひとつ。業界を牽引する注目の若手旗手である。

「成長し続けること」で、組織を引っ張ってきた

青木コンプレックスであるとか、本能的な欲求は大切ですね。「楽だから」「割りがいいから」といった目先の利益で道を決めたら、エネルギーは絶対に湧いてこない。コンプレックスを力に変え、美容外科医として歩みはじめた相川先生ですが、日本一は初めから意識されていたのですか?

相川一軒目を出した時から、「日本一のクリニックをつくる」と口に出していました。というのも、美容外科業界に足を踏み入れた当時、実は違和感があったんです。得られる効果と違うことを患者さんに説明していたり、価格も言い値がまかりとおっているような業界でした。自分のなかでクエスチョンがどんどん大きくなっていって、こうした慣例に従うことはできない、自分の価値観でしっかりしたクリニックをやっていきたいと思った結果、独立を決意した、というのが開業の経緯です。業界トップになることで、他の医院が僕たちのやり方に追随してくれれば、業界の体質を変えていけると思ったのです。

青木仁志 青木はじまりはコンプレックスだとか、自分の欲求充足が原点で十分だと思います。それが正直なところでしょう。私も「認められたい」という欲求が原動力になって、トップセールスになり、マネジャーになり、今日まで人材教育の世界でやってきました。そうしていくうちに、職能を追及するなかで身につけたものを世の中に還元したいとか、多くの人の役に立ててもらいたいと思うようになります。「社会貢献」が視野に入ると、人の力を借りられるようになり、応援されるようになり、成功は加速し、規模が拡大していきますね。相川先生は、医師としてはもちろん、経営者として570名の組織を運営されているわけですが、専門職である医師でありながら、組織のマネジメントを行うという異質な側面を両立できている秘訣はなんだとお考えですか?

相川佳之氏 相川 「日本一になる」と公言し、やり続け、人に恵まれたという、3点が要因だったのではないかなと思っていて、とくに「人」は大事な部分だと思います。かなりの勢いで規模が大きくなったので、定期的に会うとか、ミーティングをするといったシステム的なものは長いこと構築されないでいました。でも、確実に店舗が増えて、知名度が上がって、患者さんも増えているという、「成長感」を皆が感じられていた。一緒に向かっているという組織の魅力が求心力になって、引っ張ってこられたんだと思います。そうした実感と効果は、今でも大きいと思いますね。

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