著名人対談


vol.9

「日本でいちばん大切にしたい会社」
大賞 受賞 企業が語る進化した
“日本的経営”

近藤宣之(株式会社 日本レーザー 代表取締役社長)
1944年、東京生まれ。1968年、慶応義塾大学工学部を卒業後、日本電子株式会社に入社。電子顕微鏡部門応用研究室に勤務。1972年、28歳で全国金属労働組合同盟、日本電子労働組合執行委員長に就任。83年まで同職を務める。その後、総合企画室次長、アメリカ法人支配人、取締役営業副担当などを経て、1994年、株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任、現在に至る。2007年に役員・社員の持株会などから構成されるJLCホールディングスを設立し、MEBOを実施。日本電子からの独立を果たす。
同社は第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞・中小企業庁長官賞を受賞(2011年5月)。また東京商工会議所第10回「勇気ある経営」大賞・大賞を受賞している(2012年10月)。
近藤宣之氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.121より

1944年、東京生まれ。1968年、慶応義塾大学工学部を卒業後、日本電子株式会社に入社。電子顕微鏡部門応用研究室に勤務。1972年、28歳で全国金属労働組合同盟、日本電子労働組合執行委員長に就任。83年まで同職を務める。その後、総合企画室次長、アメリカ法人支配人、取締役営業副担当などを経て、1994年、株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任、現在に至る。2007年に役員・社員の持株会などから構成されるJLCホールディングスを設立し、MEBOを実施。日本電子からの独立を果たす。
同社は第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞・中小企業庁長官賞を受賞(2011年5月)。また東京商工会議所第10回「勇気ある経営」大賞・大賞を受賞している(2012年10月)。

青木本日は、日本電子の役員から、債務超過に陥っていた子会社の社長となり、見事に業績回復を果たした、日本レーザーの近藤宣之社長にお越しいただきました。同社は、第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞にて中小企業庁長官賞にも輝かれています。今回は、近藤社長が提唱される「進化した日本的経営」について、お話を伺いたいと思います。最初に、近藤社長はなぜ再建という難しい問題にチャレンジされたのか、聞かせていただいてよろしいでしょうか。

近藤宣之氏 近藤もう20年ほど前になりますが、日本電子の最年少役員だった私は、子会社の日本レーザーに行ってくれないかと打診されました。当時、子会社に出ることは本社の本流から外れることを意味していたので、正直、「なぜ自分なんだ?」と最初は思いましたね。そこで、日本レーザーが債務超過に陥った理由を探ってみると、過去四代の社長は海外経験に乏しく、最前線で陣頭指揮をとるようなリーダーがいなかったんですね。労務管理や人事管理がきちんとしておらず、商権管理も杜撰でした。私は、アメリカ子会社の整理など海外でのビジネス経験があり、20代で労働組合委員長になって労働紛争、正社員の大幅リストラに体当たりで臨んだ経験がありました。だからこそ、こうした難しい案件を扱えるのは自分だと思い、本社に残る道もあったのですが、「行かせてください」と申し出ました。

青木思い切った決断をされましたね。

青木仁志 近藤経営者は常に、リスクと可能性について判断を迫られます。主流から外れるリスクと、最高責任者として会社を再建する稀なチャンスを通して成長できるという可能性のうち、私は後者に賭けたんです。二者択一であれば、私はいつも、難しいほうを選ぶようにしてきましたね。また、本社でのお役目を終えた、これまでの天下り社長と違って、最年少の本社役員だったこともあり、「実績をつくって本社に返り咲こうとするのだろう」と見られていることを知り、それではいけないと思ったんです。ここでも、可能性にかけて難しい方を選び、日本レーザーに正式に移籍しました。それが社長人生におけるターニング・ポイントだったと思いますね。

青木日本電子には、新卒から入られたのですか。

近藤そうです。大学時代、ヨーロッパに交換実習生として滞在していたときにお世話になった方が日本電子の海外駐在員でした。これからの時代、グローバルに仕事をしてみたいと思い、帰国後に日本電子に入社したんです。

青木新卒からの生え抜きで役員にまでなられたのですね。その間のキャリアを通して数々のことを学ばれてきたと思いますが、日本レーザーの累積赤字を一掃できた一番のポイントは何だとお考えですか。

近藤宣之氏 近藤私は日本電子、2つの米国子会社、そして今回の日本レーザーと、経営が厳しくなった会社を、4度経験してきました。そこでわかったのは、失敗する原因は全部共通していた、ということです。どの企業も、「今も昔も変わらない」という前提で経営し、環境変化に対応できていませんでした。従来と同じ商品やサービスを、同じ市場で、同じお客様に、同じ売り方で売り続けていれば、ニーズや競争環境が変わるので、間違いなく右肩下がりになります。また、マネジメント層の情報共有もできていませんでした。情報が共有されていないと、何か手を打とうとしても、合意が得づらく、必ず既得権者が反対します。既得権にメスを入れられず、打つべき対策が検討できない。たとえ対策を立てたとしても、実施を先延ばしにする。そして赤字になると、中国にはコストでかなわない、円高で不利だと、外部環境のせいにするのです。すべての問題は内部にあると思わなくてはなりません。それを認識していたからこそ、私は赤字を一掃できたのだと思います。私は、社長の仕事は2つしかないと考えています。1つは、社員が頑張れば利益が出て、事業が発展し、事業が存続できるようなビジネスモデルを作ること。2つ目は、社員のモチベーションを上げる仕組みを作ること。この2つが合わされば、会社は発展します。「失われた20年」と言われている間も、当社が19年連続して黒字を出し続けているのは、社長としてのその役割を果たせたからだと思っています。

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