人生を幸福に楽しく生きる

今回は「幸福な人生を生きる」ということについて考えてみたい。
わたしは幸福の鍵は5つあると考えている。
第一に心身共に健康であること。
第二は愛に満たされた人生を生きていること。
第三は自分の人生に自己実現感を得ていること。
第四は一切の経済的な不安や悩みから開放されていること。
第五は人生を楽しんでいること。
これら五つをものが得られていれば、私たちは幸福な人生を生きていると思えるのではないだろうか?
お蔭様で私はこの五つが得られているが、人間は常に更に上を目指し、夢や理想に向けて努力をしていく存在だと思う。
そしてもちろん私には大きな夢がある。
個人的な夢と組織としての夢に分けられるが、私は大きな夢に向かって生きている。
わたしには希望や期待があるので不幸な気持ちになることは無い。
個人的には還暦を迎えた時日本を代表する能力開発コンサルタントであること。
組織的には世界初のクウォリティーカンパニーの実現による社員、顧客社会満足の高い日本一の人材教育コンサルティング会社を創り上げることである。日本一になるにはあと20年かかるだろう。
私は72歳になっている。
理想を高く掲げ生きて行けることの喜びは感謝の一言である。
今まで随分多くの方の個人コンサルを実施してきたが、うまくいかない方の大半は人間関係で行き詰まり、仕事で行き詰まり、お金で行き詰まり、最後は健康も楽しみも失っていく傾向がある。
一番多いのは、人間関係の悩みや問題である。
愛に満たされた人生を生きている人は幸福な人である。
健康の問題も大きいが、愛の喪失から比べれば前向きに取り組めるし、見通しも持てるものだ。
お金も愛の喪失から比べればたいした問題ではない。
何故、人間関係が一番難しいかといえば相手があるからである。
つまり自分ではコントロールできない対象に愛を求めたとき、求めている愛が得られないときに苦しむのである。
誰かが、恋と愛の違いは恋は求めるもの、愛は与えるもので根本の違いは自己犠牲の大きさの違いにあるといっていたが、なかなかうまいことを言うと思った。
愛の人、ナザレのイエスキリストは十字架の上で血を流し、死にて葬られその後、復活したとされているが、十字架の刑というのは人間の受ける刑罰で最も辛く苦しいものだそうだ。
極刑の中の極刑といわれている。
生きたまま手に釘刺され足に五寸釘を打たれれば誰でも痛みにもがき苦しむ。
われわれの罪の代わりに十字架につけられたということだ。
それぐらい我々を愛してくださったということである。
最も嫌いな人の為に身代わりになって死ぬことは人間には出来ないと思う。
その愛ゆえに現在、地球上に20億人を超える弟子がいるということだ。
死後2000年経って、今だに人はその人を忘れないどころか弟子になっていく。
その愛の大きさに敬服するからである。
では、我々の愛について省みると、新婚さんで早いものは成田離婚がある。披露宴に参加した人はいい迷惑だろう。親もがっかりしているに違いない。
更にお金や健康面や夫婦であっても、色々な逆境に直面すると簡単に離婚をしてしまう。
愛は自己犠牲という概念が無いからである。
我々の愛は自己中心の愛である。
難しい問題だ。
人を愛することは難しい。
私の人生は愛が分かって根本的に変わったが、愛が分からなくなれば又迷路に入るだろう。
人間は弱い。
悲しく寂しい存在である。
よいことをしようと思ってもなかなか出来ない存在でもある。
この世は悪い人がいるというよりも弱い人がいると解釈している。
人は愛が分からなくなると弱くなる。そして悪い人になってしまう。
一度の人生、二度無い人生だが愛を土台に、自然体で生きて楽しく生きていきたい。
私の人生で一番大切なものは、愛する人と楽しく生きていくことである。
何が正しいかではなく何が楽しいかというテーマで、お互いに力合わせ楽しく生きていきたいものだ。
経済的合理性だけを追求すると人生が楽しくなくなってしまう。
人生は日々、記憶の中に消えていく。
この瞬間だけが生きているという時である。
とにかく楽しく生きていこう。
心の持ち方で人生は明るく楽しくなるものだ。
一番大切なものを大切にしていけば全ては後からついてくる。
自分が幸せでなければ周りの人を幸せには出来ない。
今日も一日、感謝して楽しく生きてこう。

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