著名人対談


vol.2

仕事の歓び、経営者の歓び

篠原欣子(テンプホールディングス株式会社 代表取締役社長)
1934年、5人兄弟の4番目として神奈川県横浜市に生まれる。8歳の時に国民学校の校長を務めていた父親を亡くし、その後は助産師をしていた母親が女手ひとつで5人の子どもたちを育てる。高校卒業の後就職し、結婚・離婚を経験。その後ヨーロッパ留学、語学と秘書学を修め、オーストラリアで秘書として働く。当時の経験を生かし、帰国後は外資系企業を主な顧客とする人材派遣業会社であるテンプスタッフ株式会社を創業。2006年には東京証券取引所第一部上場。アメリカ『フォーチュン』誌による「世界最強の女性経営者」に2000年から9年連続で選出される。主な著書に『探そう、仕事の、歓びを。』(あさ出版、2007年)がある。
篠原欣子氏 × 青木仁志 アチーブメントクラブニュース vol.98より

1934年、5人兄弟の4番目として神奈川県横浜市に生まれる。8歳の時に国民学校の校長を務めていた父親を亡くし、その後は助産師をしていた母親が女手ひとつで5人の子どもたちを育てる。高校卒業の後就職し、結婚・離婚を経験。その後ヨーロッパ留学、語学と秘書学を修め、オーストラリアで秘書として働く。当時の経験を生かし、帰国後は外資系企業を主な顧客とする人材派遣業会社であるテンプスタッフ株式会社を創業。2006年には東京証券取引所第一部上場。アメリカ『フォーチュン』誌による「世界最強の女性経営者」に2000年から9年連続で選出される。主な著書に『探そう、仕事の、歓びを。』(あさ出版、2007年)がある。

青木この度は、先日10月1日をもって、テンプスタッフ株式会社とピープルスタッフ株式会社を経営統合され、テンプホールディングス株式会社の代表取締役社長となられました篠原欣子社長にお越しいただきました。派遣法が成立する前から、人々の雇用を創造するという理念に基づき、多くの方の人生に貢献されてきました。日本にまだ馴染みのなかった〝人材派遣〟という業態を自ら立ち上げられ、ここまでの規模に育て上げられた秘訣を、本日は存分にお話しいただきたいと思っています。

篠原ご紹介ありがとうございます。自分ではそんなにすごいことだなんて思ってないんですけれども(笑)。

青木そのままをお話しください。私は〝成功〟とか〝目標達成〟の分析を生業としていますので、今日は篠原社長から直接お話を伺って、たくさんの気づきを得たいと思っています(笑)。そもそもの起業のきっかけはどういったものだったのでしょうか?

篠原欣子氏 篠原起業だなんてたいそうなものでもないのですが、若い頃オーストラリアの企業で働くことがありまして、そこで女性のマネジャーやスーパーバイザーたちが活躍している姿をたくさん見ました。当時の日本では、女性は事務手伝いという風潮が根強くありましたから、帰国して愕然としたんですね。それで女性がいきいきと働ける職場が日本にないなら自分で会社を作ってみようと始めてしまったのがきっかけです。 それと海外には、〝テンポラリー(臨時)スタッフ〟と呼ばれる人達がいたんです。お休みの人の代わりに突然現れてお仕事をして、お休みの方が復帰されるまでの期間限定で働くのですが、初めてのオフィスでも戸惑うことなく仕事をこなすんですね。そんな彼らのプロフェッショナルな姿がとても印象的で、記憶に残っていました。その後、オーストラリアで知り合った人材派遣業の社長さんに派遣業の概要を教えて頂き、なんて便利なシステムなんだろう。ちょっとやってみようかなと気軽な気持ちでスタートしました。経営がどんなもので何が必要かなんて知らなかったから、後になって非常に苦労しました。しかし、反面、何も知らなかったからこそ始められたと今では思っています(笑)。1973年、私が38歳の時のことです。

青木仁志 青木そうだったんですか。素晴らしいバイタリティだと 思います。当時の日本で女性が起業するというと社会 的にも珍しいことだったと思いますが、抵抗はなかった のでしょうか?

篠原私は小さい時に父親を亡くしていて、母が助産師をしながら5人の子どもを育ててくれたんですね。だから女性が働くことも普通に受け止めていましたし、むしろ働くものだと思っていました。きびきびと働く母の姿にも憧れていました。

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