株式会社フォーバル
代表取締役会長

大久保秀夫

1954年、東京都生まれ。國學院大學法学部卒業。大学卒業後、アパレル関係企業、外資系英会話教材販売会社に就職するものの、 日本的な年功序列体質や人を使い捨てにする経営方針に納得できず、退社。
1980年、25歳で新日本工販株式会社(現在の株式会社フォーバル)を設立、代表取締役に就任。上場審査の厳しかった当時では、創業して8年2カ月という異例のスピードで、1988年、日本最短記録を最年少(当時)で店頭登録銘柄(現JASDAQ)として株式を公開。同年、社団法人ニュービジネス協議会から「第1回アントレプレナー大賞」を受賞。
その後も、情報通信業界で数々の挑戦を続け、国内3社、海外1社、合計4社の会社を上場させ、従業員数約1100名、法人クライアント数10万社、上場会社2社を含むグループ企業23社を抱えるベンチャーグループに成長させた。2010年、社長職を退き、代表取締役会長に就任。会長職の傍ら、講演・執筆、国内外を問わずさまざまな社会活動に従事。カンボジアにおける高度人材の育成を応援する公益財団法人 CIESF(シーセフ)理事長も務める。さらに、東京商工会議所特別顧問、中小企業国際展開推進委員会委員長、NPO法人元気な日本をつくる会理事長 、早稲田大学商学学術院客員教授なども務めている。

成功する経営者の在り方

成功する経営者の在り方

青木仁志
青木

本日は、日本電信電話公社(現・NTTグループ)の独占状態だった電話機・電話回線市場に、新規参入を果たし、当時の日本最短記録および最年少記録を打ち立て、上場した株式会社フォーバルの大久保秀夫代表取締役会長にお越しいただきました。 ソフトバンクの孫正義社長とともに、日本の通信業界の風雲児として駆け抜けてこられた大久保会長と、成功する経営者とそうでない経営者の違い、経営者としての在り方などについて、お話をさせていただければと思います。

大久保秀夫氏
大久保氏

青木さんとはまだ知り合って日は浅いのですが、ご著書を拝読したり、何度かお食事などを共にさせていただいている中で、非常に考え方が似た、旧知の友に感じています。社員を大切にする経営など、多くの部分に共感しています。

 青木仁志

青木仁志
青木

ありがとうございます。フォーバル本体に勤務している社員600名のうち、約350名が10年以上、うち、130名以上が20年以上働かれているという企業体を経営する大久保会長にそう言っていただけるのは、光栄です。

大久保秀夫氏
大久保氏

随分と大きな家族をつくったなと感じています。たくさん売上を上げている会社、利益を上げている会社は他にもありますが、人を大切にして、家族のような大きな会社をつくりたいという気持ちから逃げず、実現することができたことは、誇りです。

青木仁志
青木

「逃げない」とは、大久保会長ご自身のキーワードではないかと思います。フォーバルの名を世に知らしめたいくつかの出来事は、まさに、逃げない心があってこそ達成されたことと思います。電話機販売の自由化、通話料金の値下げなど、実現の最中には、法律を変えるという荒業も辞さなかったとお聞きしていますが、そうした大久保会長の姿は、困難な道をあえて選択し、自ら歩まれているようにも見えるものです。電電公社に立ち向かわれた時のお話を伺えますか?

 大久保秀夫氏

大久保秀夫氏
大久保氏

電電公社が独占していた通信機市場に参入した時のことです。料金に関しては、明らかにわが社のほうがお客様の利益になるのに、契約が取れませんでした。私も25歳で起業して若く、信用してもらえなかったんですね。電話機というのは、10年間の法定耐用年数というものがあるんですね。10年はもつということです。だから、私たちの代わりに、メーカーに10年間保証してもらおうとしたのですが、メーカーは1年しか保証しないという。10年保証にして欲しいのならデポジットで1億円積んでくれと言うのです。当時、会社の資本金は100万円でした。ギブアップさせるつもりなんだなと思いましたね。私は「わかりました」と即答していました。正直に言うと、脚が震えていたのですが。売上の90%をメーカーに払うフルコミッションの営業マンになるから、その累計が1億円になったら、10年保証をした上で品物を卸してほしいと頼みました。一気に動いて、約束の1億円をためました。普通だったら、ひとりの営業マンが1年間で売るような件数を1ヵ月でやっていました。そうして天下の大メーカーの了解を取り付けて他のメーカーに行くと、全戦全勝なんですね。こうして、電電公社の電話機専売状態に風穴を開けました。

 大久保秀夫氏

「在り方」からくる、「魂の決断」をくり返す

大久保秀夫氏
大久保氏

また、盟友であるソフトバンクの孫さんとは、こんな思い出があります。かつて、日本の通信料は世界一高かったんですね。新電電は開業していましたが、依然として電電公社の独占状態だったのです。そこで私たちは、誰がどこからかけても、瞬時に最安の回線を選んで接続する機械を開発することにしたんです。 1年半後、ついにアダプターが完成して、12月24日、京セラの本社に行ったんです。アダプターが正常に作動することを証明すると、第二電電の代表者でもある稲盛会長が、50万個買ってやると言うのです。僕らは即座に断りました。ユーザーが利益を享受できるように開発したのに、場合によっては、強制的に第二電電だけを選択させることができてしまう。押し問答が6、7時間続きました。しかし、ついに根負けして、サインしてしまったんです。クリスマスの夜に、ふたりで京都のビジネスホテルで悔し涙を流しました。「魂を売ってしまった」と。そこで、僕は、翌朝契約書を「取り返しに行こう」と言って、アポなしで京セラに乗り込み、丁々発止とやり合って、契約書を取り戻しました。事業とは、ユーザー不在、つまり国民不在ではだめなんです。結局、経営というのは、お客様づくりなんですよね。

 青木仁志

青木仁志
青木

大久保会長のあきらめない姿勢は、消費者、つまり国民の利益に貢献するという理念からくるものだということが、よくわかりますね。自分という器を通して、何によって社会に貢献していくのか、その所在が明確であり、その役割に徹すること、けだし、その人の「在り方」ということですね。

大久保秀夫氏
大久保氏

まったくそのとおりです。

青木仁志
青木

京セラの稲盛会長との鬼気迫るやりとりもそうですが、大久保会長は、非常にスケールの大きい決断をくり返してこられました。ご自身が成功した電話機販売のノウハウを無料公開されて、あえてライバル会社をつくられたりしましたよね?社内からは大きな反対に遭われたそうですが。

大久保秀夫氏
大久保氏

はい、まだ社員数6名の時でした。社員は怒りましたよ。自分たちは汗水垂らして働いているのに、社長は全国を講演して歩いて、ライバルをつくっていると。会社が勝つためには、大きな力が必要であり、たくさんの人が参入することで、大きな業界ができる。業界ができること、イコール自分たちを守ることであって、勝つためには仲間が必要なのだと考え、実行したんです。結果的に5年間で日本の市場50%、135万社、300万事業所が電電公社をキャンセルすることになりました。

青木仁志
青木

それは思い切った決断でしたね。唯一無二の「在り方」が確立されていれば、本質からくる、正しい決断を下し、実行に移すことができるんですね。

大久保秀夫氏
大久保氏

経営者に必要なのは、「在り方」と「決断力」だと思っています。どちらも共通しているのは、その背景に、「大義」と「ビジョン」があること。 世の中のためといった大きなビジョンを掲げてしまうと、振り上げた拳を下すことは、そうそうできないんですね。そして、「決断」には、3つの種類があります。「体の決断」と「心の決断」、そして「魂の決断」です。「体の決断」は、暑い、寒い、眠いと言ってさぼってしまうこと。これでは動物ですよ。「心の決断」は、好きか嫌いか、損か得か、儲かるか儲からないか。人間の大半はこの「心の決断」ですね。「魂の決断」とは、正か否か。従うと、損するかもしれない、嫌われるかもしれないと思ってしまいます。しかし、「決断」とは、純粋でなければならない。それは、個人も会社も同じなんです。そして、そうした決断を迷いなく下せることが、経営者の「在り方」なんだと思います。

「余命3ヶ月」の死生観が、本質的決断を生み出す

青木仁志
青木

私は、「理念経営」の重要性を提唱していますが、自分の魂を欺くことなく、魂の決断をくり返し、規模を拡大されてきた実践者である大久保会長のお話に、非常に重みを感じます。ここまで大久保会長を駆り立ててきたものは、何だったとお考えですか?

 大久保秀夫氏

大久保秀夫氏
大久保氏

「死生観」ですね。友人が大学病院の教授をしているのですが、ガンに罹患した患者のほとんどの方が、「私の人生は何だったのだろう」と問うそうです。そしてだいたいが、高学歴で、いい会社に就職して、出世したような、他人との競争のなかで生きてきて、勝つことが評価であり、存在価値だったような人たちなんだそうです。ところが、稀に数%、「すごくいい人生だった」と言う人がいると。いい学歴でもないし、いい会社に入ったわけでもない。しかし「いい母ちゃんと出会って何々で」と自慢をするそうなんですよ。そしてそうした方が亡くなると、家族がご遺体のそばを離れないと。勝ち負けとは、死ぬ時に自分の心が評価を下すものであって、他人との比較による評価なんて、架空のものなのですね。自分でふり返った時に、自分の生き様に対して、納得することができた人は、皆「勝ち組」なんだと思います。自分の死をどれだけの人が悼んでくれるのか、企業バリューも個人も、「ありがとう」の数をどれだけ獲得できたかなんですね。

青木仁志
青木

大切にするべき人を大切にする。当たり前のことですが、身近な存在だけに、ないがしろにしてしまいがちですよね。生まれてきたからには、家族だけでなく、社員をはじめ、自分と関わる人たちから、別れの時に惜しまれる存在でありたいものですね。

大久保秀夫氏
大久保氏

私は「余命3ヶ月」という言葉が口ぐせなのですが、5歳の時に、大きな事故に遭ったんです。本当なら即死だと言われました。つまり、一度死んだ命だと思っているんです。あと3ヶ月しかないと思うと、出世に何の意味があるのか、お金が増えたからって何なんだ、となります。人に対する考え方だって、こんなことを言ったら傷ついてしまう、嫌われると思うより、今ここで教えなければまずいと、言霊が入りますよね。人間は、99%、損得で生きています。「心の決断」です。しかし、あと3ヶ月なんだと思うと、本質に近づき、行動を起こすことができる。こうした死生観をもつことは、人間として、経営者として、「在り方」を学ぶ大きなポイントになるのではないかと思っています。そして、そうした死生観を背負った「在り方」が、「決断」という、経営者の武器となり、時に守ってくれる存在の礎になるのだと思います。

 大久保秀夫氏 × 青木仁志

青木仁志
青木

大久保会長の生き様と言いますか、一瞬たりとも気を抜くことのない、真剣勝負の姿勢に、胸が熱くなる思いです。大久保会長とは、人材育成と通信業界と、身を置く分野は違いますが、事業を通じて日本社会をよくしていきたいという目的地に向かって、軌を一に、これからも切磋琢磨し、刺激しあっていければと思います。本日はありがとうございました。

大久保秀夫氏
大久保氏

こちらこそ、ありがとうございました。

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